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大鳥神社には、数多くの文化財をはじめ神社境内には、
歴史を物語る遺跡も存在しております。
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松材一木彫眼の彩色坐像。笏の上に両手を供し、頭部は宝冠台を彫出している。菩薩形のように威容厳然として厳しい中にも柔らかな趣を表現している。
◆千枚張 |
大原祗園の起源を示す。応永22年(1415)からと伝わる。
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境内遺跡◆大鳥神社遺跡 |
当神社本殿から50m余り北西一帯に方形の土塁と南にも土塁の遺構が残る。内部は平坦で建物跡を思わせるが不明。古記録に見える移転前の神社跡か河合寺の遺構かまたは中世の城跡なのかは定かではない。陶器の破片が出土している。
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境内遺跡◆河合寺遺跡 |
当神社の宮寺で当神社の勧請と同じころ円仁の開基と伝えられる。幕末まで神社と一体で運営されていたが、明治元年に神仏分離令で廃寺となる。建物等は大正5年の神社火災類焼によって焼失した。再建されずに仏像等は櫟野寺に移管された。
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◆種子三千仏(市指定) |
応永33年(1426)新書。河合寺什物とし、永禄8年(1568)に修復した墨書銘が記されている。
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◆鉄湯釜 |
当社の神事に使われていた湯釜で栗東市の辻の鋳物師田中藤左衛門が製作。慶長7年(1602)の銘があり彼の手になる最も古い作品。
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その他◆奉公の碑 |
日清戦争に従軍した旧大原村より出征した方々219名の氏名が刻されている。当神社で戦勝奉告祭を行った時に建立される。巌谷一六氏の書。巌谷氏は市内水口町出身で明治時代の書家。小説家巌谷小波の父。
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その他◆ホタル |
神社参道の大橋川に架かる石造太鼓橋付近に毎年6月上旬から下旬にかけてゲンジボタルが多く見られる。
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